こばやし歯科医院 明美先生ブログ

小林明美が生まれ育った家庭のこと、その家庭を守り苦労した母の生き様を”我家の軌跡(奇跡)として随筆中。

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我が家の軌跡(奇跡)【42】

トビーはもう成犬だった。でもまだ若く、1歳位だったと思う。
 
立派な血統書付。本来なら生まれてからずっとお座敷で飼われるべきだったのに。

外をフラフラ歩き、野良犬のようだったから、長い毛は毛玉になり、臭かった。
我が家の犬になると直ぐ、シャンプーしてあげた。父のベッドに乗せて、みんなで乾かした。

そしてトビーは座敷犬になった。
 
大きくて15キロはあったけど、ぬいぐるみみたい。大人しく、頭の良い仔。
父は可愛がり、気分の悪い時以外は傍においた。
時には長い毛をグルグル巻きにして角を作ったり、子供の日には、兜を折って被せたりした。

トビーは何故か太った人にだけ吠えた。
理由は直ぐに推察出来た。
トビーの飼い主が太った人だったし、奥さんは妊娠中でお腹が大きかったからだ。と思う。
それ以外は滅多に吠えない。可愛くて我が家の癒し犬となった。

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つづく

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我が家の軌跡(奇跡)【41】

両親の喜びは大変なもので、新潟に住んでいた頃に無理して買っておいた土地を大慌てで売りに出し、入学金、学費を作ってくれた。
昭和47年。あの頃は直ぐに売れたんですね。

 淵野辺キャンプの前の店舗付一軒家での生活をスタートさせ、キャンプ内の子供達が良くお店に来るようになった頃、一匹の真っ黒いわんちゃんが時々キャンプ内からお店にやって来るようになった。守衛さんが道路を横断するので、時々車を止めて危ない。保護してくれないかと言ってきた。

 おいでおいでするとちゃんと来る。父のベット脇の庭の軒下に場所を作ってあげた。すると安心したようにぐっすり寝てしまった。

 アメリカン.コッカスパニエルのオス。キャンプ内の夫婦が飼っている犬で、奥さんがお産の為に里帰りしているため、ご主人は世話が出来ずに放置されていたらしい。父も母も勿論、明美も情も湧いてきていたので、交渉して我が家のわんこになった。名前はトビー。黒人の奴隷と言う意味らしい。

トビーの存在は、暗くなりがちの我が家にとって、どんなに癒された事か。

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つづく

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我が家の軌跡(奇跡)【40】

歯科大受験を決めた時、担任が反対した。どうせダメなんだから、内申書は3通しか出さないと言われた。

歯科大は鶴見女子大学歯学部一本。場慣らしで受け、浪人して国立を受けるつもりだった。何故、鶴見女子大学にしたかというと、共学では、女は男に頼って実習が疎かになる。女ばっかりでは自分で何でもやるだろうから。という父の考えからだった。

名取試験の為の仮題の踊りを二つお稽古して、鬘合わせもし、衣装は本来なら自分で用意しなければならないので、かなりのお金が掛かるのを、お師匠さんが用意して下さった。だから、浪人して名取を取るつもりでいた。

結果は、歯学部に受かり、病人の事を考えると、学費が掛かっても、一年でも早い方が良いと。名取試験は受けず、それきり日舞は止めてしまった。今思えば、ちょっと頑張って名取になっておけば良かった。

学校で、階段から降りて来る担任に、受かりましたと報告したら、信じられないと言って、階段を踏み外して滑るジェスチャーをした。

学年主任に報告をしに職員室に行くと、数人の先生方が居られた。歯学部に受かりました。と言ったら、神学部ですかと、神父の先生が嬉しそうにおっしゃった。いえいえ“歯”学部、歯医者です。

文系の高校では聞きなれない、恐らくは開校以来、始めての学部だったと思うので、神学と間違えるのは当然だ。

つづく

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