こばやし歯科医院 明美先生ブログ

小林明美が生まれ育った家庭のこと、その家庭を守り苦労した母の生き様を”我家の軌跡(奇跡)として随筆中。

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我が家の軌跡(奇跡)【43】

 高校、大学と淵野辺駅まで歩いて行った。途中の16号線までは毎朝、母とトビーが送ってくれた。そして大学受験を間近に控えた頃、母はこっそり16号線を越えた所にある神社に寄り、お百度参りをしたと、大学に合格してから聞かされた。母はトビーの散歩がてらだったからこそ出来たのかもしれないが、それにしてもそのひたむきさ。明美が母親になった時、同じように出来るのか。疑問である。何はともあれ、合格したことで、母の努力が報われ本当に良かった。

思い返せば、明美は両親に多くの愛情を注がれていたと思う。一時期は妹の方にばかりひいきしていると思った。何しろ、母は“ヒーちゃんがまともだったらお姉ちゃんより色白で美人だったね。足もすらりとして。”と言うのだから。

でも、写真に残されている明美は、良いとこのお嬢さんに写っている。
七五三、お正月の羽子板、雛祭り。人並み以上の道具立て。
“かたわ者”の家の子と指差されないように。生活保護も受けずに何不自由なく。大事に育てられたと感謝している。

 でもやっぱり貧乏は貧乏。高校生の時に新潟から上京した親戚に付き合って横浜に行く事になった明美は、先ず着て行く服がない。靴が無い。バッグがない。洋服と靴は何とか調達できたものの、バッグなしで肩身の狭い思いをしながら行ったのを覚えている。

 大学に入ってからその格差に背伸びしそうになった。

 実際は出来なかった。制服っていいなと思ったものである。

 長い休みにはアルバイトをして、お小遣いを貯めて必要な物を買ったり、旅行も出来た。旅行には流石に親からの援助が必要だったが、負担を少なく出来たと思う。

 自宅から二時間近くかかって通い、大変だったけど親元から通え、家事も手伝い乍、まずまずの大学生活だったと思う。

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 つづく
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