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こばやし歯科医院 明美先生ブログ

小林明美が生まれ育った家庭のこと、その家庭を守り苦労した母の生き様を”我家の軌跡(奇跡)として随筆中。

我が家の軌跡(奇跡)【21】

関屋田町の土地は掘ると地下水が出た。

それを利用して早い内から我が家には水冷式クーラーがあった。
父は寝たきりなので、贅沢かもしれないが、背中はアセモが出来る。
必需品。
父の部屋兼リビングにだけあった。

明美は小、中学生の頃、歩いて帰って来ると先ず、クーラーの前にどっかり座り込んで涼んだ。

神経のない横隔膜から下の背中は少しでも皺があるとジョクソウになる。
だから夏は半袖、冬は長袖の下着の綿シャツの背中の部分をくりぬいて着ていた。

父は博学で、生きた字引と言われていた。
絵も上手だった。
左手で画板を支え、風景画、愛犬の似顔絵を画用紙一杯にクレヨンで書いたり、更に左手で定規をも支え、家の設計図を書き、死ぬまでに3軒の家を建てた。

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幻覚痛と戦いながら、趣味を見つけては日々を送っていた。

近年、介護疲れで自殺したり、殺人を犯したりの信じられないニュースの多さ。
我が家はいくつもの困難を上手に乗り越えて来られた。
奇跡?いいえ、母の努力、父の強さの賜物だと思う。

つづく
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