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こばやし歯科医院 明美先生ブログ

小林明美が生まれ育った家庭のこと、その家庭を守り苦労した母の生き様を”我家の軌跡(奇跡)として随筆中。

我が家の軌跡(奇跡)【44】

 大学に入ると、休みの日には母の手伝いをした。
 相模原で外科病院の院長をしている、父の中学時代の同級生。相模原に引っ越してくるきっかけを作ってくれた友人の一人。の好意で、病院内に自動販売機を置かせて頂いた。Coca Cola社の販売機、とお菓子の販売機。当時のコーラ、ファンタグレープ、オレンジはビンで一ケース24本入り、倉庫から販売機まで運ぶが重い。販売機に入れている間中、心無い大人の男性がニヤニヤ笑いながら“おねえちゃん大変だね”と茶化してくる。お陰で人間不信となった。

 大学一年の夏、同級生と二人で、九州、沖縄約10日間の旅に出掛けた。長崎からクイーンコーラル号と言うフェリーで23時間。沖縄に着いた。まだ返還前で左側通行。沖縄海洋博の準備が進んでいた。ここで、医科大に通う福岡時代の幼馴染の男の子と合流。母親同士が姉妹のように仲良しだったので、宿泊費節約のため、帰りの福岡で泊めていただく為と、観光をお願いしてあった。
 
 沖縄の宿は同級生のお友達の家。料理屋さんに連れ行っていただき、初めて沖縄料理を食べた。口に入れようとする直前に、それ豚の耳とか、腸とか言われ、ゲーっと思いながら食べてみた。
 耳はコリコリして酢の物で食べ易かった。美味しく頂けたのは豚の角煮(ラフティ)かな。

つづく

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