こばやし歯科医院 明美先生ブログ

小林明美が生まれ育った家庭のこと、その家庭を守り苦労した母の生き様を”我家の軌跡(奇跡)として随筆中。

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我が家の軌跡(奇跡)【39】

守衛さんの一人に高校の同級生のお父様がいらした。夜の勤務は夜中から朝まで、寝ずの番。明美の部屋の窓が、正門に面しているので、丸見え。その守衛さんの日勤の時に顔を合わすと"夜遅くまで頑張ってんだな"と言われる。見られているかと思うと意地でも遅くまで電気をつけていたっけ。内職しながら。

引っ越ししてからも、母の知人の紹介で、新宿まで日舞のお稽古に通っていた。歯科大を受けると決める前から、名取になる事を目的で、遠いが通っていた。学校帰りにカバンを持ったまま、町田駅から、小田急線で新宿駅まで行き、そこから、バスに乗って、新宿御苑前を、通り、何処まで行ったのだろうか。丁度、三島由紀夫が自決した市ヶ谷駐屯地をバスから眺めた記憶がある。昭和45年11月25日の事。その直後にバスで通った時、誰かが囁いたので、知った。高校2年の時だった。週一回、多分土曜日に行ったと思う。帰りは夜遅く、新宿からの始発に乗るのだが、通勤帰りの人か、何時も一杯で、列を作っていて直ぐには乗れない。何本目かにやっと乗って、自宅の最寄り駅の相模大野駅に降りると、バスの本数が少なく、ずっと立って待つ。悲しかったなあ。足は痛いし、何時まで待てば来るのって。タクシーなんて飛んでもない、相模大野駅から、渕野辺キャンプまでかなりの距離。兎に角、迎えには来てもらえない。自力で帰らなければならないのが悲しく、疲れてた。毎週。(それが、一瞬にして無駄になったけど)

つづく

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