こばやし歯科医院 明美先生ブログ

小林明美が生まれ育った家庭のこと、その家庭を守り苦労した母の生き様を”我家の軌跡(奇跡)として随筆中。

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母は箱入り娘【10】

体が弱く細いが体操はたいがい出来た。特に走り幅跳びは得意だった。
佐渡全校の選手の競技会が年に一度、河原田の総合グランドで行われる。私が五年生の時に受持ちの先生が私をどうしても出したいと父に相談したが、体の弱い子をとんでもないと言って断ったとか。後で先生が、和子さんが行ってたら、一等取れたのに。と残念がっていた。
毎年の学期末の学芸会には必ず二つか三つ踊り、歌とやらされていた。“男女七歳にして席を同じうせず″の時代だったから、男の子と女の子が組んでやるフォークダンスを見て父兄は野次やら、笑うやらの大騒ぎだった。
当時、校長先生と言うと村では一番偉かったので、何かあるとあちこちと引っ張り出され、飲まされて、私と姉は酔っ払った父を迎えに良く出向いていた。

学校の昼休み時間になると、私のような腺病質の子や、体の弱い生徒ばかり集めて、甘酒をお椀一杯飲まされた。私は大嫌いで、飲まないと叱られるので、口いっぱい頬張って、外で吐いたりしていた。
それに比べて姉は好き嫌いはないし、私みたいに我が儘でなかったから叱られるところは見た事もなかった。唯、父が五衞ムの柱にかかっている大きな時計の前に姉を立たせて一生懸命教えるのだが中々覚えず、見ていた私の方が先に覚えたために、はがゆがった父がブツブツ小言を言っているのを一度だけ聞いた事があった。

つづく
次回はいよいよ未来の父 登場です

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